空気を読みすぎて疲れてしまい、人と器用につき合うことができない、アスペルガー症候群(アスペ)の、まあちゃん。理解があるような顔で、内心悶々としたものをかかえる、映画監督のわたし。些細なことで、ふたりの仲がギクシャクするたび、これって、彼女がアスペだから? それとも、わたし自身の問題なの? わかり合おうとしなくちゃ… いい人でいなくちゃ…ああ、でも! まあちゃんと友達でいるために、わたしは自分たちに向けてカメラを回しはじめた…はずが、たどりついた答えは、友達やめた?!
コミュニケーションの壁に苦しむ自身の姿を、エイヤ!と晒した『Start Line』から4年、生まれつき耳のきこえない映画監督 今村彩子が、新たな葛藤と向きあう。人と人ってほんとうに分かりあえるの? 友達って何? 普通ってどういうこと? わたしたちを縛るやっかいな“常識”を捨て、もっと自由に軽やかに、心と心を重ねあう。ヒリヒリして、イラッときて・・・でも何だかほっこりする、まあちゃんとわたし、ふたりの“違い”から生まれたものがたり。
自分とは異なるバックグラウンドを持つ人たち同士が
どうすればうまく共存できるのか、という本質的な問題について、
理想論だけではない感情の部分まで示している。
それは、簡単に答えが出るものではないかもしれないが、とても大切な問題だ。
本田秀夫(精神科医)
構図としては、“まともな”今村監督が
“ちょっとおかしな”まあちゃんを撮っているはずなのだけど、観ていると、
わっどうしよう私まあちゃんの気持ちのほうがわかってしまうぞ?と慌ててしまった。
人によっては、きっといろんな部分で価値観が逆転してこんがらがる作品。
何がマイノリティで何がマジョリティか、それは常に流動的だ――と、
そんな問題意識を孕んだ映画であると同時に、
中年独身女性(あえてこう言います)の柔らかい友情の話でもある。
扉を開けてまあちゃんを迎えるシーンが何度もあるけれど、毎回うれしくなる。
能町みね子(文筆家)
発達障害を持つ友人が私に話してくれる「生き苦しさ」。
頭ではなんとなく分かるけどハッキリとは分からなかった。
映画の中の二人の対話を聞いていたら、それが肌でわかる感覚が私の体に訪れた。
言葉で説明しづらい何かは、
言葉で表現しきれない何かによって伝えることができる。
それが分かって、人間同士の不思議さ愛おしさで胸がいっぱいになり、
たくさん涙が出ました。
田房永子(漫画家)
なんだか物騒なタイトルだなぁ。それが第一印象でした。
しかし作品を観てみると……なるほど、そうか。いいよね、友達やめたって。
本当は、友達やめたくなるくらい人と向き合うのって、難しいし怖いし面倒くさい。
でもそうするだけの価値が「友達」にはあるんじゃない?
改めてそう感じさせてくれたお二人に、ちょっと感謝したくなりました。
北川恵海(作家)
人が、自らに巣食うカテゴリー思考や偏見から抜け出すためには、
そのカテゴリーに属する多くの人々に出会う必要がある。
それを知らない者たちが辿る足掻きを、
本作品は目を背けたくなるほど誠実に切り取ろうとしている。
綾屋紗月(自閉スペクトラム・手話ユーザー/東京大学先端科学技術研究センター)
我が家も毎日がプチ「夫婦やめた」状態だ。
でも、お互いを必要とする気持ちと信頼が、「言葉」を超越したコミュニケーションを育んできたと思う。
「コミュニケーションとはなにか?」と考えるとき、本作から得られるヒントは多いはずだ。
くらげ(「ボクの彼女は発達障害」著者)
恋人同士であれば、欲しい愛と与えられる愛の形が違えば別れてしまうだろう。
では、友達同士で欲しい友情と与えられる友情の形が違う時は?
悩み、苛立ち、時には「友達やめた」と言いつつも、
作品に昇華させた監督の執念は見事。
気の合う友達が欲しいと思っている人には特に見てほしい。出来れば2度。
寺島ヒロ(漫画家/「うちのでこぼこ兄妹」著者)
自分を変えるではなく、相手を変えるではなく、
相手を支えるではなく、支えてもらうではなく、一緒にいようと試みるとき、
アスペルガーの人にとって一番苦手なはずの同じものを見つめる・共同注意が、
うっかり生まれていることに出会って心動かされることがあります。
この映画にはたくさんのそれが見つかりました。
滝口のぞみ(臨床心理士)
分かり合えなさをそのままにせず、かといって完全に分かり合えることを目標ともせず、
お互いの困りごとを一緒に眺め、それはどんなときに起こるのか、何がそうさせるのか、
今村監督とまあちゃんのやりとりは当事者研究の対話そのものだと感じた。
「分かり合う」とは到達するものではなく、変化し続けるプロセスそのものである。
松森果林(ユニバーサルデザインアドバイザー)
遠い他人は許せても、近い他人は許せない。
近くなるほど、互いの“ものさし”の違いがよくわかる。
怒っても注意しても無視しても、既に出来上がっているものさしは変わらない。
さあ、どうする?ずばり、あきらめる!自分のものさしを相手に当てることを。
そして、まあちゃんとあやちゃんはふたりのものさしを作り始めるのだ。
人と関わるって、新しいものさしを作り続けていくことじゃないか。
一番面倒で忍耐のいるこの作業に、泣けてくるほどまっすぐ不器用に向き合うふたり。
あきらめという名の愛の物語。
纐纈あや(映画監督)
「このままでは、まあちゃんを撮ってるのではなく、
アスペを撮ってることになってしまう…」
と今村さんが呟くシーンがある。その通りだなあ、と思う。
「アスペルガー」を撮り、「うつ」を撮り、「ろう」を撮ることに
終始しているだけのドキュメンタリーが、なんと多いことか、
そのことがわかりやすく描かれていれば良し、とするモノの見方…思考停止。
そこに、一人のヒトが生きていることを撮ることこそが、ドキュメンタリーの魅力なのにね。
人間は宇宙同様に、深いのだ。映画もね。
伊勢真一(映画監督)